智本 光隆 (チモト ミツタカ) 1977年、群馬県生まれ。京都精華大学人文学部卒業。群馬大学大学院社会情報学研究科修士課程修了。研究は中世文献から近現代歴史情報まで広範囲に及ぶ。在学中に『風花』で第14回歴史群像大賞優秀賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
豊臣蒼天録 2
智本 光隆
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慶長十六年。打倒徳川の兵を挙げた豊臣秀頼はわずか一日で洛南の地を平定。さらに真田幸村や大谷吉治の働きにより朝廷から「徳川家康追討」の令旨を得た。これにより池田輝政ら西国の大名が味方となり、秀頼の軍勢は大きなものへとなっていく。勢いにのる豊臣軍は家康を追い彦根へ進攻。苦戦するも城を落とし近江を手中に収めた。一方、家康は彦根城から尾張・清州城まで後退。本多正信とともに老獪なる逆襲策を発動させる。しかし
豊臣蒼天録 1
慶長十六年春。十二年ぶりに大坂城を出て二条城へ向かう豊臣秀頼には秘めた決意があった。それは―「家康暗殺」。織田有楽斎にそそのかされたこの計画はしかし、すべて豊臣家を潰すための家康の策略だった。暗殺は失敗。大罪人として追われる身となった秀頼は、大野治長の身を挺した護衛で二条城から脱出。さらに加藤清正が命を懸けて徳川勢を食い止めなんとか淀城へと逃げ込む。過酷な現実を直視することを拒否する秀頼だったが、
関ヶ原群雄伝 3