最終戰爭論.戰爭史大觀 - 石原莞爾

最終戰爭論.戰爭史大觀

石原莞爾

出版社

廣場

出版时间

2013-10-23

ISBN

9789868962217

评分

★★★★★
书籍介绍

大東亞十五年戰爭引爆點─918事變策動者的石原莞爾是如何算計的?

為何石原又說出只要我在的一天,不准一個日本軍人進入中國?

石原莞爾被稱為「亞洲的勞倫斯」、「帝國陸軍的異端兒」。他在自己的「最終戰爭論」理論下策劃了1931年918事變,僅以一萬多名關東軍面對少帥張學良的23萬大軍,結果佔領了面積三倍於日本本土的滿洲。七七事變爆發當時擔任參謀本部作戰部長向首相近衛文磨建議「中日提攜」,「將華北日軍撤回山海關,來表達不戰之意,然後近衛首相您親自飛往南京直接與蔣介石會面......我石原願意隨行」。看似矛盾、謎樣般的人,是如何形成他的世界觀與戰略思考?就讓石原親口告訴我們吧!且看石原莞爾的「最終戰爭論」與「戰爭史大觀」!

石原莞爾

明治22年(公元1889年)出生於日本山形縣鶴岡市。明治40年進入陸軍軍官學校就讀,大正7年陸軍大學畢業後至德國留學,並傾注於腓特烈大帝及拿破崙等人的戰術研究,且自成一家。

回國後任關東軍參謀,昭和6年(1931年)9月18日策劃炸毀南滿鐵路(日資),再以此為藉口用武力壓制全滿州地區(現中國東北部)。隔年3月1日成立滿州國。在此事變中石原莞爾被稱為「軍事天才」「亞洲的勞倫斯」。可是在昭和12年爆發中日戰爭之時,因主張停戰而與東條英機激烈對抗。昭和16年在東條陸軍大臣的指示下被編入預備役,此後便從事演講活動,提倡「世界最終戰爭」且公開反對美日開戰等。日本戰敗後在到山形縣庄內一帶經營農場,並為和平運動而奔走。

郭介懿

輔仁大學日本語文學研究所畢業

曾於國立台北科技大學、政治大學選舉研究中心擔任研究助理

目前為日本東京大學法學政治學研究科博士生

AI导读
核心看点
  • 石原莞尔阐述最终战争论,预言美日决战与世界统一
  • 剖析决战与持久战演变,结合佛教预言构建世界观
  • 回顾战争史大观,从拿破仑到二战分析战略战术变迁
适合谁读
  • 对日本军国主义战略逻辑及历史根源感兴趣的读者
  • 研究军事战略、战争形态演变及国际关系的历史学者
  • 希望深入理解二战前日本高层决策思维与矛盾性的读者
读前提醒
  • 本书含大量战略推演,需结合二战背景理解其时代局限
  • 作者观点具神秘主义色彩,需批判性阅读,警惕其侵略逻辑
  • 部分译本语句不通顺,建议配合其他史料对照阅读以正视听
读者共识
  • 石原莞尔具战略眼光,但理论宏大且天真,带有宗教色彩
  • 揭示了日本军国主义内部矛盾,其未被重用是历史幸事
  • 翻译质量参差不齐,但作为研究日本战略思想的一手资料珍贵

本导读基于书籍简介、目录、原文摘录、短评和书评生成,不等同于全文精读。

精彩摘录
  • "戦争本来の真面目(しんめんぼく)は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じ時代でも、ある場合には決戦戦争が行なわれ、ある場合には持久戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因は時代的影響でありまして、軍事上から見た世界歴史は、決戦戦争の時代と持久戦争の時代を交互に現出して参りました。"
  • "お隣りの支那では漢民族の最も盛んであった唐朝の中頃から、国民皆兵の制度が乱れて傭兵に堕落する。その時から漢民族の国家生活としての力が弛緩しております。"
  • "特に皆さんに注意していただきたいのは、フランス革命に於ける軍事上の変化の直接原因は兵器の進歩ではなかったことであります。 けれどもフランス革命で横隊戦術から散兵戦術に、持久戦争から決戦戦争に移った直接の動機は兵器の進歩ではありません。フリードリヒ大王の使った鉄砲とナポレオンの使ったものとは大差がないのです。社会制度の変化が軍事上の革命を来たした直接の原因であります。"
  • "しかし私は、この計画変更にも持久戦争に対する予感が無意識のうちに力強く作用していたことを認めます。即ちシュリーフェン時代にはフランス軍は守勢をとると判断されたのに、その後、フランス軍はドイツの重要産業地帯であるザール地方への攻勢をとるものと判断されるに至ったことが、この方面への兵力増加の原因であります。また大規模な迂回作戦を不徹底ならしめたのは、モルトケ大将が、シュリーフェン元帥の計画では重大条件であったオランダの中立侵犯を断念したことが、最も有力な原因となっているものと私は確信いたします。ザール鉱工業地帯の掩護(えんご)、特にオランダの中立尊重は、戦争持久のための経済的考慮によったのでありま"
  • "現在は第一次欧州大戦に比べると、空軍の大進歩、戦車の進歩などがありますが、十分の戦備と決心を以て戦う敵線の突破は今日も依然として至難で、戦争持久に陥る公算が多く、まだ持久戦争の時代であると観察されます。"
  • "戦術の変化を見ますと、密集隊形の方陣から横隊になり散兵になり戦闘群になったのであります。これを幾何学的に観察すれば、方陣は点であり横隊は実線であり散兵は点線であり、戦闘群の戦法は面の戦術であります。点線から面に来たのです。この次の戦争は体(三次元)の戦法であると想像されます。"
  • "それでは戦闘の指揮単位はどういうふうに変化したかと言うと、必ずしも公式の通りではなかったのでありますが、理屈としては密集隊形の指揮単位は大隊です。今のように拡声器が発達すれば「前へ進め」と三千名の連隊を一斉に動かし得るかも知れませんが、肉声では声のよい人でも大隊が単位です。われわれの若いときに盛んにこの大隊密集教練をやったものであります。横隊になると大隊ではどんな声のよい人でも号令が通りません。指揮単位は中隊です。次の散兵となると中隊長ではとても号令は通らないので、小隊長が号令を掛けねばいけません。それで指揮単位は小隊になったのであります。戦闘群の戦術では明瞭に分隊――通常は軽機一挺(ちょう)"
  • "戦争発達の極限に達するこの次の決戦戦争で戦争が無くなるのです。人間の闘争心は無くなりません。闘争心が無くならなくて戦争が無くなるとは、どういうことか。国家の対立が無くなる――即ち世界がこの次の決戦戦争で一つになるのであります。"
作者简介
石原莞爾 明治22年(公元1889年)出生於日本山形縣鶴岡市。明治40年進入陸軍軍官學校就讀,大正7年陸軍大學畢業後至德國留學,並傾注於腓特烈大帝及拿破崙等人的戰術研究,且自成一家。 回國後任關東軍參謀,昭和6年(1931年)9月18日策劃炸毀南滿鐵路(日資),再以此為藉口用武力壓制全滿州地區(現中國東北部)。隔年3月1日成立滿州國。在此事變中石原莞爾被稱為「軍事天才」「亞洲的勞倫斯」。可是在昭和12年爆發中日戰爭之時,因主張停戰而與東條英機激烈對抗。昭和16年在東條陸軍大臣的指示下被編入預備役,此後便從事演講活動,提倡「世界最終戰爭」且公開反對美日開戰等。日本戰敗後在到山形縣庄內一帶經營農場,並為和平運動而奔走。 郭介懿 輔仁大學日本語文學研究所畢業 曾於國立台北科技大學、政治大學選舉研究中心擔任研究助理 目前為日本東京大學法學政治學研究科博士生
目录
寄予本書─省問石原莞爾於今日之意義福井雄三
導讀戰前日本陸軍的鬼才及其擲地有聲的兩部作品楊典錕
第一部 最終戰爭論
第一章 歐洲戰爭的源流
決戰戰爭與持久戰爭/古代及中世/文藝復興時期的軍事性革命

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用户评论
某種模糊不清的歷史終結論
此书台湾翻译质量实在惨不忍睹,语句极不通顺,有些行文看的莫名其妙。可悲的是,汉化版仅此一家。侧面反映了台湾同胞真是人才凋零……
期待中国的石原莞尔
终极武器让石原君料到了,讽刺的是,最后用在了日本身上。石原眼界了得,可惜孤掌难鸣啊
日本帝国军人对世界形势的预测。 翻译不够通顺。
石原莞尔确实是个战犯,但是幸好军国主义日本没有重用他。
閱於2013
冥想之国印度,理论与组织之国中国以及实行之国日本,简直是佛教版的正统转移论。石原莞尔的理论既宏大又天真。可惜读读《顺天时报》就知道日本不是石原心目中那个可以践行天命的道德之国。
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